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Welcom to Park Ageo

〒362-0075 埼玉県上尾市柏座3丁目1−48

Park Ageo みんなの広場

みんなのひろば
パーク上尾団地の組織
管理組合 委員会 自治会 自主防災会 パークの歩み
管理組合
 〇管理組合は、全区分所有者で組織される。
 〇輪番理事による、区分所有者主体の自主運営がなされている。
 〇主な仕事は、団地全体の財産を守ること。
 〇総会は原則として年1回開催される。
 〇理事会は、原則毎月1回開催される。
  決議事項は毎月発行される「団地管理組合だより」及びホームページ住民専用ページ内に掲載される。
 〇役員会は毎月1回開催される。
  理事の互選によって選出された理事長、副理事長、番館担当副理事長、各委員会委員長で構成される。
 〇委員会は、常設の委員会及び都度必要に応じて開設される委員会で構成される。理事はいづれかの委員
  会に所属する。

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委員会
委員会の構成は以下とする。(順不同)
 〇総務委員会
    WEBチーム(下部組織)
 〇財務経理委員会
 〇長期修繕委員会
 〇営繕委員会
 〇環境衛生委員会
    緑化クラブ(下部組織)
 〇防災委員会
 〇駐車駐輪委員会(33期より駐車委員会・駐輪委員会は統合しました)
 〇広報委員会

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自治会
上尾行政事務区の上尾地区に属し、「パーク上尾事務区」として単独の事務区が置かれている。
 〇自治会は、住民の任意加入者で組織される。
 〇輪番班長により、住民主体で運営されている。
 〇主な仕事
  @会員相互の親睦と共同の福祉を推進すること。
  A地域との交流・活動に参加すること。
専門部会
 〇ウォーキングサークル
 〇ふれあいサロン
 〇うたのサロンかけはし

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自主防災会
 パーク上尾団地では、管理組合と自治会とが協力・運営する「自主防災会」が組織され、活動
しています。
この「自主防災会」の主な活動内容は下記の通りです。
  @住民への防災意識の啓蒙活動。
  A消防署や市役所と連携した定期的な防災・避難訓練の企画・実施。
  B大震災時における緊急避難時の弱者へのサポート。
      
 「自主防災会」は住民を代表する50名前後の方々で構成され、具体的な組織名やメンバーは、各番館
の掲示板に貼付されている「自主防災組織図」をご覧ください。
 また、ボランティア有志で構成される「緊急支援隊」の活動が、スタートしています。
 パーク上尾団地でも、御多分にもれず住民の“高齢化”が進んでいる状況下で、ご自身やご家族の生命や
財産を守るための活動を継続していきますので、住民の皆さまのご理解とご協力をお願い致します。
     
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パークの歩み
【パーク上尾団地の位置】
 
 埼玉県は関東平野の中西部にあり、その7割近くが平地で、西部は秩父山系、北部・南部は台地・丘陵が発達し、上尾市は県・南東部の洪積台地中央部に位置しています。

 関東ローム層からなるこの洪積台地は大宮台地と呼ばれ、北西は鴻巣市から南東方向はさいたま市浦和区あたりを長辺とする直角三角形のかたちをしています。そして、この大宮台地の馬の背に沿って中山道と
JR高崎線が並んで走っています。

 パーク上尾団地は壱番館、弐番館、参番館の三つの棟からなり、JR上尾駅から徒歩10分の圏内にあって、武蔵野を思わせる風景が残る閑静な住宅地に囲まれており、近くに総合病院、スーパー、家電量販店があります。

【遺跡の発見】

 昭和58年5月にパーク上尾団地の造成工事を始めたところ、多量の土器片と住居遺構が発見され、付近一帯が埋蔵文化財地であることがわかりました。遺跡は団地弐番館の建築予定地にあり、昭和59年7月10日から発掘調査を始め同年10月6日に終了しました。当遺跡周辺では古墳〜縄文時代、奈良時代や平安時代の遺跡が連弧状に確認されていましたが、市街地での発見はこれが初めてのことでした。

【柏座遺跡】

 上尾の歴史は2万年前の先土器時代まで遡ります。市内で400か所以上の遺跡が見つかっており、市内畔吉の殿山遺跡からは関東ではめずらしい国府型のナイフ形石器が見つかりました。1万2千年前から始まる縄文時代の遺跡からは土器や石器が出土し、また、川越市との境界に流れる荒川に面した平方や東部の元荒川に近い原市では貝塚が発見されており当時は縄文海進による海辺であったことがわかっています。

 今回の調査で発掘された柏座遺跡は、縄文時代後期堀之内期を中心とする大きな集落で、市内領家の山下・石神遺跡に比肩される規模があり、時間的な広がりは、先土器時代から中・近世に渡るものでした。

 遺構は住居跡11件、土壙76基、炉穴2基、陥し穴状遺構1基、ピット303基、堀2条と先土器時代のユニットが1カ所発見されました。時代区分では、第1〜10号住居跡が縄文時代後期、第11号住居跡が弥生時代後期でした。土壙は、大部分が縄文後期、一部が縄文時代中期でした。陥し穴状遺構は縄文時代中期であることがわかりました。

 遺物では、先土器時代および縄文時代中期〜後期の石器、縄文時代中・後・晩期の土器、弥生時代後期の土器、古墳時代前期の土器があり、かなり広い時代に渡るものでした。

 なお、中〜近世と推定される掘立柱建物跡およびピットがありましたが、この堀に関係する遺物は砥石1点のみでした。
※参考資料(上尾市文化財調査報告第26集柏座遺跡)より

【曽我殿屋敷跡】

 今回の調査で見つかった中世〜近世と推定される堀と掘立柱建物跡に関しては、江戸時代の文化・文政期に編纂された地誌『新編武蔵風土記稿』の足立郡柏座村の項に記述があり、曽我殿屋敷遺跡との関連があるようです。

 また、柏座遺跡の周辺には「ソガドン」「ソガドノ橋」の呼び名が伝わっており、日本三大仇討で有名な曽我十郎・五郎との関係が取りざたされています。

【新編武蔵風土記稿にみられる足立郡柏座村】

昌平坂学問所地理局によって1830年に完成した『新編武蔵風土記稿』には、足立郡柏座村の当時の記述がみられます。

【大宮台地と関東大震災】

 大正12年(1923年)9月1日に発生した関東大震災は、関東東海地域の広範囲に渡って大きな揺れをもたらし、各地に甚大な被害をもたらしました。

 埼玉県下では局地的に震度7の地域が見られましたがほとんどは震度6か震度5であり、しっかりとした地盤の大宮台地では多くの市町村が震度5でした。

 大宮台地のほぼ中央に位置する北足立郡上尾村(当時)の被害報告は、全戸数678のうち倒壊数は1戸、半壊数はゼロで、震度は5.25でした。隣の大宮町(当時)の被害報告は、全戸数3581のうち倒壊は4戸、半壊4戸、震度は5.25、「瓦葺多、被害小」、地盤条件は「ロームの広い大地性丘陵地。地盤良好」と記載されています。
参考資料『地質調査所データに基づく1923年関東地震の詳細震度分布-その2埼玉県』より

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